大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(ラ)157号 決定

抗告人 大石吉郎(仮名)

相手方 辺見一男(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

当裁判所の認定もまた原裁判所のそれと同一であるから、次のとおり訂正するほか原決定理由欄の記載中の当該部分(原決定原本三枚目表二行目から五枚目表一〇行目まで)をここに引用する。

原決定原本四枚目表二行目に「東京都中央区○○○○○町八番地二」とあるのを「東京都中央区○○○○○町八番地七」に、同四枚目裏二表目に「船橋市○町」とあるのを「船橋市○○○町」に、同三行目に「納税証明書」とあるのを「課税証明書」に、同末行に「沢村フユコ」とあるのを「沢村冬子」に、同五枚目表八行目に「同年一〇月一八日」とあるのを「同年一〇月一七日」に各訂正する。

抗告理由二(1)について

本件記録およびこれに添付してある調査記録によれば、抗告人は原審判添付目録(イ)記載の宅地につき、山田士郎との間において地代月額を金七、〇〇〇円とする賃貸借契約を締結しているが、原決定当時は未だ契約したばかりで現実には支払を受けていない事実を認めることができ、その他特に将来における右に地代債務の履行が不確実であると認めるに足りる資料は存在しない。従つて原裁判所において右事実を判断の資料に加え、前記宅地から未だ現実の収入はないが、将来前記約定地代額程度の収入を得られるものと考えられるとした判断は相当であつて、これに関してはなんら違法ないし不当の点は存在しない。

抗告理由二(2)について

前掲各記録によれば、抗告人は昭和三八年一二月当時新潟市より生活扶助および住宅扶助として月額合計金五、三一三円の給付を受けている事実を認めることができる。生活保護法第四条第二項によれば、民法に定める扶養義務者の扶養および他の法律に定める扶助は、すべて同法による保護に優先して行なわれるものとする旨定められ、いわゆる公的扶助の補足性なる原則の存在することは抗告人主張のとおりであるが、右原則は抗告人の要扶養状態の判断に当り同人が現に受けている同法に基づく給付を考慮に入れることまで禁じてはいないと解するのが相当である。従つてこの点に関する抗告人の主張はその理由がない。

抗告理由三及び四について

前掲各記録によれば、抗告人は現在その実姉真田トミ方に身を寄せ、同女の長男真田一郎の収入その他によつて生活しており、抗告人の収入はすべて自己において費消し、家計には入金していないこと、抗告人の他の扶養義務者中大石哲男、沢村冬子等は必ずしも扶養を分担する能力がなくはないことが認められ、この事実に原審認定の諸事実を併せ考えれば、引取扶養ないし給与扶養のいずれの方法によるを問わず、相手方において抗告人を扶養すべき特別の事情あるものとは認め難い。この点については、仮りに抗告人主張のように抗告人の他の扶養義務者がいずれも無資産で扶養が不可能であるとしても右の判断に変りはない。

以上の次第で抗告人の主張はいずれもその理由がなく、その他記録を精査しても原審判を違法とすべき事由は見当らないから、本件抗告を棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高井常太郎 裁判官 満田文彦 裁判官 藤田耕三)

原審(新潟家裁昭三八(家)一七八三号昭三九・二・八審判却下)

申立人 大石吉郎(仮名)

相手方 辺見一男(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

本件申立の要旨は

1 相手方は申立人の妻ユリの弟である。

2 申立人は、かつて、相当の財産を所有し、相当の生活をしていたが、戦中戦後を通じ貨幣価値の低落、家賃の統制等のため、次第に経済的苦境に落ち入り財産を失ない、現在資産としてはわずかの不動産を残すだけとなつた。

3 申立人は現在老齢であり、かつ、無職で所有不動産もほとんど収入を産まず、収入は皆無に近く、生活費を賄うことができない。

4 妻ユリは貧乏生活にたえられないとすでに昭和二四年中申立人のもとを去り相手方宅に寄遇しており、もちろん申立人を扶養する状況ではない。

申立人は子が無く兄弟姉妹は六人いるが、いずれも申立人を扶養する状況にはない。

5 相手方は相当の資産家であり、現に新潟市長として活躍中で申立人を扶養する十二分の力がある。

なお、相手方の父辺見保は相当の資産家であつたが、昭和二九年死亡し申立人の妻ユリ(昭和一二年九月申立人と結婚)は三人兄弟の一人として遺産の三分の一を相続できたのであるが、相手方とはかり相続を放棄した(昭和二九年七月)事情がある。

6 相手方は法律上当然には申立人を扶養する義務はないが、民法八七七条二項により扶養の義務をおわせることができる関係にあるので、この際申立人を扶養することを求める。

7 扶養の方法としては相手方宅に住まわせ(妻ユリと同居できることになる)月々適当な生活費の支給をすることである。

ただし、相手方および妻ユリの意向により他の方法でもさしつかえないが、いずれにしても申立人は現に姉真田トミの子(申立人のおい)真田一郎の家に間借りし同人の扶養を受けているが、同人は身体不具で十分の労働ができず収入も僅少である。また、法律上も申立人を扶養する義務はないのである。同人の住宅も狭小で申立人を間借りさせることは大きな苦痛である。相手方の広大な家屋敷とは同日の談ではない。

そこで相手方が申立人を相当な方法で扶養することを求める。

というにある。

よつて審案するに

1 新潟市長作成の申立人の戸籍謄本、相手方の戸籍抄本、申立人、相手方各本人尋問の結果を総合すれば、

申立人は新潟商業学校卒業後○○商会に勤めたが、神経衰弱となり、また、肺尖を悪くしたため退職し、療養生活の後昭和一二年九月一日妻ユリと婚姻したが、収入源である地代家賃も戦時中統制されていたため持つていた不動産をつぎつぎに売つては生活費に充て、また、経済事情の急激な変動も加わつて生活困難となつたため、同女との間も円満を欠き、昭和二三年ころ同女は実家である相手方の許に帰つてしまつた。

申立人はその後もいぜんとして定職にもつかず従来と同様な生活態度をとつたため、現在は不動産もわずかばかりとなり、その他代と市から受ける生活扶助に頼つて姉真田トミの子一郎方に身を寄せて生活していることが認められる。

2 しかし、上記証拠に新潟地方法務局登記官吏作成の登記簿謄本を総合すれば申立人には全然資産がないわけではなく、現在別紙目録記載の(イ)(ロ)の不動産を所有していること。

しかしてこれから生ずる地代は同目録(ロ)の土地は地代を払わない人もいるので、現在は月一、四〇〇円ぐらいの収入、(イ)の土地はまだ契約したばかりで現実の収入はないが、これから月七、〇〇〇円ぐらいの収入を得られるものと考えられること、これに現在市から受ける生活扶助金を加えると申立人が生活を保持することが全くできないものとはたやすく認められないこと。

3 仮に生活を保持するに困難を来したとしても

本籍 東京都中央区○○○○○町八番地二田口シマの戸籍抄本ならびに同戸籍の附票

本籍 新潟市○○町七〇八番地一真田トミの戸籍謄本ならびに同戸籍の附票

本籍 白根市大字○○○○○一八三番地田中三郎の戸籍抄本

本籍 東京都渋谷区○○○○丁目六八番地早福キヌの戸籍謄本

本籍 東京都練馬区○○町○丁目二二三一番地大石哲男の戸籍謄本

本籍 東京都港区○○○町○丁目一番地沢村冬子の戸籍抄本

住所 船橋市○町○丁目一番地二同人の住民票抄本

東京都練馬区長作成大石哲男の納税証明書、固定資産課税台帳登録証明書の各記載を総合すれば

申立人には

弟 田中三郎

同 大石哲男

姉 真田トミ

妹 早福キヌ

同 田口シマ

同 沢村冬子

があつてこれらの人が申立人にとつては第一順位の扶養義務者に該当すると認められること(その中には必ずしも無資産のものばかりではないことが認められる)。

4 申立人の妻ユリは申立人と上述のようないきさつから円満を欠き、申立人の許を逃がれて実家の兄である相手方の扶養を受け、昭和三二年四月一日申立人を相手に当裁判所に離婚調停の申立をしたところ調わないので同月二四日取下すると(昭和三二年(家イ)七七号事件)、こんどは申立人が同年一〇月一八日同人を相手に離婚調停の申立をなし、前後七回の調停期日を重ねたが合意成立に至らなかつた(同年(家イ)二八九号)事情などをあわせ考えると、申立人が相手方に対しその居宅に住まわせることを請求することは今までの経過からみて妥当ではなく、また、申立人が相手方に対し自己の扶養までを求めるのは前記いきさつからして相当ではないといわなければならない。

以上諸般の事情を総合して考えると、相手方に申立人を扶養すべき特別の事情あるものとして扶養の義務を負わせるのは相当でない。よつて本件申立を却下することとし、主文のとおり審判する。

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